雪降る、ヤマトの都。帝都主要箇所に敷設した鉄条網と仮設陣地に立てこもる決起軍二
個連隊。対し、向かい合う正規軍、近衛二個師団。
 冬の帝都。雪は積りて議事堂を、官庁街を、陣地土嚢を白く変えていく。辺り、舶来無
音映画の如くに静寂。ただ軍靴の音、染み入る。
 睨み合う両部隊、兵士達の吐く息は白く消える。

 反乱決起軍は追いつめられていた。未明よりの決起は議事堂、陸軍省、海軍省、官庁街
を占拠したものの肝心のヤマト帝国宰相兼陸軍大臣を取り逃し、陸軍省の首脳部は各自宅
より忽然と姿をくらましていた。
 直前に情報が漏れたのである。宰相は首脳部を集め戒厳令を発すると、近郊駐屯の近衛
師団の緊急出動に成功した。決起軍は始めから躓いたのである。

 占拠議事堂内に置かれた司令部。そこには今回の反乱将校指導者、海田 六郎大将とそ
の部下藤堂 主税がいた。二人はじっと黙り込む。

 海田大将は今年六十歳。先の大戦を前線にて指揮した名将である。その名前は海外にも
知られ、陸軍、海軍、若手、年配を問わず将校達からの声望は高い。
 そのあまり大柄でもなく品の良い居住まいは軍人と言うより老学者の風であった。

 二人は宰相室にて何をするともなく。今後の状況を考えるでもなく。
 もはや、大勢は決した。重商業主義を信奉し、塗炭の苦しみにあえぐ臣民を故意に見過
ごし陛下・国家の軍たるを野望のために私した、宰相を誅することは叶うまい。国家安寧
の義挙であると信じた二人、そして若手将校達。彼らの思いは打ち破られた。

 と、そこに溝内大佐が現れる。溝内は敬礼すると、状況報告をする。溝内大佐は今年三
十六。彼は陸軍士官学校を主席で卒業したという金短刀組で病的に青白い顔が特徴的な人
物。一を聞いて十を知り百を返す秀才であるが、どこか蛇を連想させる。藤堂のような非
主流派とは軍内部の氏も育ちも違う。

 海田はじっと腕を組み、聞く。溝内は自らの弁に酔うかに投降を説く。是非も無し、と。
 藤堂が横から見ていると海田と目があった。と、海田の目が何かを訴えかける。
 ……藤堂は了した。

「大佐、少し表にでないか」
溝内の弁がひとまず保留となると、藤堂は彼を連れ立ち議事堂外に出る。陣地、正規軍と
の睨み合いのまっただ中へ。

「ご苦労」
立ち上がり敬礼する士官・歩卒達に答礼を返すと、藤堂と溝内は陣地を見回る。
 藤堂の左一歩後ろを歩く溝内であったが藤堂の疲れた背中をみて口元、微かに嗤う。彼
にとってロートルの代名詞の藤堂など蔑視の対象でしかない。一歩後ろの礼儀も藤堂本人
に対してではなく、陸軍少将という階級章に対してだ。

 見回る中、藤堂は一人の歩卒に目が止まる。陣地、土嚢に体隠しながら小銃を構え正規
軍を見据える若者。階級章は二等兵、最下級である。
 彼は藤堂に気付くと慌てて立ち上がり敬礼する。冴えない容貌、その指先はあかぎれて
いて痛ましい。藤堂は彼の首から掛かる小さなこけしに気付いた。
「どうしてその様な物を付けているのかね?」
 若者は一歩兵卒からみれば雲上人たる将官に声をかけられ顔面真っ赤、どもりながら答
えた。
「あ、あの。おいらは……、いえ、本官は母からこれを貰ったのであります! これは本
官の双子、双子の妹からのお守りであります」
不器用そうな若者。恐らく最近徴兵された新兵であろう。そしてこのような鈍重な若者は、
真っ先に戦場で死ぬ。藤堂の幾多の戦場経験がはっきりとそれを感じる。

 溝内が怪訝な顔つきで言う。
「こけし? こけしがお守りかね。ふん、そんなお守り聞いたことないな」
藤堂はその口調に嘲笑めいたものを感じた。若者は溝内の言い様に萎縮する。
「あの、本官の故郷は、それは雪深い田舎町でなのであります」
若者、懸命に話を続ける。帝都、向かい合う陣地。雪は降り続く。

 若者の故郷は遙か北方、山脈が広がるその谷間であるという。夏は短く、冬は長く。そ
の豪雪は冬の大半を白く閉ざす。その故郷、中央などでは名前も知らない小さな地名。山
にへばりつくような畑で寒冷に強い麦やジャガイモなどを作るしかないような場所。稲な
どとても作れず、この若者は真っ白い米など田舎では身内の祝言の際にしか口にしたこと
がない。

「おいら……、本官の村では冬をこすのもやっとなんであります。どうにか夏や秋の蓄え
で長く苦しい冬をしのぐです。などでもおいらの家は貧乏で家は傾きところどころから寒
風が吹き込むような家でした」
若者は一つ一つの言葉を噛みしめるように吐き出す。
 藤堂は彼のいう様相がよく分かる。藤堂も北部小作人の出自なのだから。苦労して勉強
を重ねどうにか士官として軍に入るも、結局小作人の子は小作人であった。
 ……藤堂には彼の話がよく分かった。
 けれど、帝都富裕層生まれの溝内にはところどころ分からない。彼にとって話に聞いた
ことはあるが、彼には全くもって縁のない世界でのことなのだから。溝内、小首を傾げる。
 溝内の様子を横目でみる藤堂。この男は本当の冬の寒さ、水の冷たさ、食べ物に餓える
ひもじさ、なけなしの作物を収奪していく地主に頭を下げる切なさなど一生分かりはすま
いな。藤堂、内心呟く。

「で、おいらが生まれたとき実は双子の妹がいたんです。でも、冬を間近にして年老いた
爺や婆がうちにはいて。で、とても赤子二人も芋を食わす余裕がなかったんです。だから
うちのおとうは自分の娘、生まれたばかりの娘の首に手かけたです。おいら、それ全然知
らなくて、おいらに赤紙来たとき病床のかっちゃんから聞いたです」
若者、直立不動で泣いていた。
「うちの故郷には手かけた赤子の代わりとしてこけし作るです。そしてこのこけしはおい
らの妹、記憶の隅にもないおいらの妹なんです」

「かっちゃんは言いました。このこけしはおまえが生きるために死んだ妹じゃ。おまえは
妹の死のおかげで生きとる。だから兵隊なっても死んじゃいけねぇ。絶対生きて村に帰れ
って」
若者、嗚咽を漏らし震える。藤堂は若者の肩に手を添えた。近くの士官が若者を下げよう
としたが、藤堂はそれを制した。
 辺りの士官達、兵卒達、皆が光景を見つめる。

「だからおいら、突然今朝に上官にたたき起こされて使命を聞かされたとき恐かったです。
死ぬのは恐かったです。……死にたくね。おいら死にたくねえ。
 だけど、だけどもおいらは思うです。海田大将は陛下お側の佞臣を除くため立ち上がる
って。……貧乏人のため、立ち上がるって。金持ちやら地主やら役人、強いモンに泣かさ
れてきた弱いモンのため敢えて立ち上がるって。
 だからおいら逃げなかった。おいら逃げなかったです」

「おいら死にたくね。人を殺したくもね。おいら満足に字もかけねし、手先もぶきっちょ。
でもそんなおいらでも妹の、誰かの犠牲の上で生きてきたです。
 だからおいらこの義挙、負けたくないんです。寒さの中、空っ風が吹き込むぼろ屋の中
死んでいった妹のためにも負けたくないんです。
 もう、妹みたいに理不尽に殺されていくのは見たくない。誰かが誰かに理不尽にくいも
んにされていくのを見たくないんです。
 おいら、馬鹿だからこれぐらいしか分かんない。でも死んだ妹のため、おいらは立ち上
がるんです。
 だから、だから、かっちゃんには悪いけどもおいらここで死にます」
雪の中、陣地土嚢の中で若者は泣いた。

 雪降る帝都。向かい合う決起軍と正規軍。日が明けるとともに突如首都に出現した静寂
の戦場。銃火飛び交わずとも三脚に立つ銃機関銃が睨みをすえる。

 藤堂と溝内は再び陣地の中を歩き出した。藤堂、考え込む様子。溝内はそろそろ仮設司
令部に戻ることを勧めるも、藤堂歩き続ける。
「藤堂閣下、どちらまで行かれようというのですか? この辺りは前線ではありません。
両軍誰もいませんし、見るべき物などないですが」
溝内は訝しげに尋ねる。と、藤堂は急に立ち止まる。

「……大佐、おまえはここで死ぬんだ」
藤堂、静かな物言い。将校用拳銃を手に取ると溝内に向けた。
 溝内は狼狽した。青白い顔を歪ませ、三言四言悲鳴をあげる。
「大佐、おまえのやったことは分かっている。舶来の言い方をすれば、おまえはユダだ」

 溝内は必死に弁明し、口から唾を飛ばしながら至誠を説いた。
 が、藤堂の拳銃持つ右手人差し指に力がこもる。

「おまえは純粋無垢なる同志を裏切った。国憂う者達を。そしてなにより先程のあの二等
兵の為にもおまえのような奴は死なねばならんのだ。強い者に虐げられた弱い者の為、お
まえは死ぬ」
藤堂の顔色に怒りはない。むしろ哀れみのような色さえ浮かべて。溝内は目と口を大きく
広げ、恐怖に包まれた。

 占拠議事堂宰相室、海田六郎陸軍大将。彼は副官と佇んでいると、外から一発の銃声が
聞こえた。……短い銃声。
 副官は正規軍の攻撃開始かと動揺するも、海田は静かなまま。ただ一瞬安堵の表情を浮
かべる。海田は副官に告げる。

「決起部隊を解散させよ。すでに事は終わったのだ」
副官は抗弁するも海田は耳を貸さない。副官はついに受け入れると、海田自身の身の振り
方を問うた。

「陛下に弓引いた大逆、万死に値する。そして佞臣らの縄につくには矜持が許さぬ。
 ……無論、未だいい足りぬ事もある。
 が、士たる者、言葉で主張するのでなく行いで志しを表さねばならん。そして私は敗れ
ただけのことだ。最後に心残りも消したところで終わりとしよう。皆にはつき合わせて悪
かったな。もう自由にしてやれ」
海田はこの場に置いても静かであった。副官は目に涙を溢れさせつつ拝命し、宰相室を後
にした。

 海田の命を受けて決起軍陣地は次々に武装放棄、解散していった。士官、兵士達は疲れ
果て投降していく。
 藤堂は陣地の中、立ちつくしていた。夢破れ、彼に残った物は寂寥感。尊敬する上司も
自決し、今彼の為すべきは一つ。
 彼はいまだ銃身が熱を持つ拳銃を取り出す。そっとこめかみに当てる。熱で皮膚が焼け
た。
「……溝内、おまえはもっと熱く、痛かったろう。すまなかったな」
許されざる者とはいえ、一時は同志と誓った者の名を口にする。
 藤堂は、人生最後の動作をすべく引き金に指をかける。

 と、その時彼方から大声が聞こえた。藤堂、思わず見やる。そこには。
「負けなんか認めねえ! おいら、おいらは君側の佞臣を除くんだ!」
陣地から一人の歩卒が小銃片手に駆け出す。藤堂、愕然とする。
 こちら側陣地を駆け出し、正規軍陣地に走るは先程のあの二等兵。こけしを後生大事に
持っていた若者。あか抜けず、要領も悪そうで鈍そうな北出身の小作の倅。

「こんちくしょう!」
 あの若者が絶叫しながら遮二無二に駆けていく。先程のおどおどした様子は微塵もない。
まさしく烈士、軍人の顔。

「おいら、負けねえ。絶対に負けねえ! 弱いモンを救うため、弱いモンを生かすため。
強き理不尽に立ち向かうため! 負けるなんて認めるもんか!」

 ……若者の声は正規軍の集中発砲にかき消された。十数発は彼を抉ったろう、小作人の
倅は雪の地面に倒れ落ちた。雪が赤く染まっていく。

 藤堂は泣いた。後から後から涙が溢れる。狂おしいほどに。

 すべては一瞬のことであった。だが藤堂には分かる。
 きっとあの若者は冬はぼろ小屋にて一家一同寒さに震え、雪深い枯れ山で薪を取り、い
つもいつも腹をすかせ、あかぎれた手で僅かばかりの山菜を凍える川水で洗い、学問をし
たくても病気に苦しむ両親のためできず、ものもらいのように頭を下げて生きて来たろう。
 だからこそ、だからこそ弱い者のため、虐げられて死んできた者の為に命をかけようと
したのだろう。
 泣き叫ぶ赤子のように正義を叫び、自分たちの不幸を跳ね返そうとした。若者の最後、
それは犬死にだ。けれど、弱き者の叫び。
 あのどうしようもないほど雪深い貧民の小作人の小倅は正義の為に体をかけた。
 ……藤堂はいつしれず拳銃落として泣いた。
 辺り憚らず泣き濡れる藤堂。周りには不審に思った士官達が集まる。皆、正義と信じて
立ち上がった同志達。兵卒達も武装放棄で小銃を置いたまま駆け寄ってくる。皆が泣いて
いた。

 ふと、藤堂、遠くから聞き覚えのある声を耳にする。
「……さん、お父さん!」
藤堂は耳をそばだてる。

 正規軍陣地向こうから聞こえてくる。大声。それは今となっては懐かしい愛娘の声。戒
厳令下の中で危険も顧みずに来てくれたのか、藤堂は陣地彼方、見えぬ声の元を見据える。

「お父さん!」
微かな声。けれど藤堂にははっきりと聞こえる。藤堂の心に届く。
 藤堂呟く。
 ……この戒厳令下よくぞここまで来たものだ。あの血を見るだけで卒倒していたお前が。
本ばかり読んでいて、こまっしゃくれていて、いつも甘え上手なお前が。雷がなったとい
っては怯えて父の布団までもぐりこんでいたお前が。
 この義挙の前、理由もいわず一方的に母さんやお前と離縁したが、それでもお前は、こ
んな謀反人の父さんの元に来てくれたというのか。

 藤堂は瞼を拭うと歩き出す。ゆっくりと正規軍陣地に向かう。彼の目に再び光が宿る。
「そうだ、生きねばならん。何としても生きねばならん。投降したところで反逆罪は免れ
ぬ。なれど一時でも生きねばならん。いや、例え海田大将を大悪人にしようとも生きねば
ならん。同志達から裏切り者と罵られようとも。生きて生きて生き抜いて、正義の為、
死んでいった者達の望む世にするため私は生きる」
 藤堂、雪の正規軍陣地を見据える。
「死んで海田大将に恨まれようが、私は生きる。同志に罵詈雑言浴びせられようとも生き
る。溝内が化けてでようともう一度殺してやる。
 今この場で自決するのがどれほど楽だろう。生きることがどれほど苦難だろう。
 けれど、たとえ妻が娘が謀反人の家と嘲られようが私は絶対に生き延びる。変節漢の汚
名も甘受する。なれど生きて成し遂げねばならん。
 どのようであれ生きて正義を実現するのだ。
 小作人の小倅よ、お前は立派であった。お前は最後に誰がどう言えども強い者であった。
私もお前のように弱くてそして強い者であれるだろうか?」

 この日、未明よりの帝都決起は僅か半日にして終了した。
 決起軍死者は将校二名と兵卒一名のみであったという。


戻る





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送