1・雨の帰り道、早樹と緑
 
 
 しとしとと、雨は街並みに降り続く。季節は六月。街並みの小道、幼い娘を連れた母が
傘をさして歩いている。
 親子はとりとめの無いことを話しつつ雨の中を小道をゆく。ふと、民家の垣根、紫陽花
が目についた。その艶やかさ、綺麗さに子ははしゃいで覗き込む。
「わー、かたつむりさんだ!」
子のはしゃぎように母は口元を綻ばす。
 
 子はじっとかたつむり眺めるが、それはからに籠もりぴくりとも動かない。子は数度、
殻をつついて嘆息をつく。どうしちゃったんだろう、とさする。
 母は一言二言諭すときっと疲れているのだろうと子を慰めた。
 
「でーんでんむーしむし、か〜たつむりー、おーまえのめーだまはどーこにある? つの
だせ、やりだせ、めだまだせー♪ ……わっ!ほんとにつのがでたー!」
子ははしゃぎ、雨の中で歌い、小躍りする。母は口元綻ばせると子の歌を褒める。他愛の
無いことでは有るが、無邪気さが愛おしい。
 
「うん、えんちょうせんせいもほめてくれたんだもん」
子は目を輝かせながら話す。
「あのね、えんちょうせんせいが、みどりちゃんはげんきにうたうからいいねって。だか
らみどりはおおごえでうたうの。……でーんでんむーしむし、かーたつむりー♪」
 
母は繰り返されるフレーズにさすがに飽きが来た。苦笑しつつ何か他に無いのと尋ねる。
子は少し考え込むと、口を大きく歌い出す。
 
「あめあめふれふれかあさんがー、じゃのめでおむかえうれしいなー♪ ぴちぴちチャプ
チャプ、ランランラン♪」
子は水溜まりを選びながら歩くのに夢中になっている。
 
 
 
「ママ、なんでみんなあめふりっていやがるのかな?ほらこんなにたのしいのに」
瞬間、母の動きが止まった。
 
 あの日もこんな雨だったろうか、母の胸、懐かしい声がよぎる。
(……ねえ早樹ちゃん。なんでみんな、雨降りって嫌がるんだろうね? ほら、こんなに
楽しいのに)
 
 子はかたつむり相手に歌っていたが、母の様子に気付き不安がる。母はただ、前を見据
えて。雨の中。
 
(藤隆クン、水溜まり踏みなんて面白い? 中学にもなって子供みたい。風邪引くよ)
(早樹ちゃん、ほら。いっしょにきなよ。
 雨雨降れ降れ、母さんがー♪  蛇の目でお迎え嬉しいなー♪)
 
 母は子の問いに答えず、方を震わす。呆然と立ちすくみ目の焦点定まらず。その手から
傘が落ちる。
 
(風邪なんか引かないさ。そういえば昔僕が風邪を引いたとき、藤隆クン死んじゃうって
わんわん泣いてたっけ。早樹ちゃん泣き虫だもんなぁ)
母の内、あの過ぎた日々、懐かしい声が胸を、心を、かすめ揺さぶる。
(もう、昔の事を! それ小学校の時の話でしょう。今は泣き虫じゃないわよ)
 
 
「……藤隆さん、やっぱりあなたの言うとおりだったね」
 雨はしんしんと降り続ける。
 
 
 
2・それはもう十四年も前のこと
 
 
 しとしとと雨は降る。少年と少女は学校帰りふざけあっていた。
 もう時間も夕暮れ。あたりは徐々に暗くなってくる。
 
「うーさぶい!」
少年は濡れた犬のように体をふるわす。
「ほんっと馬鹿ね。雨の中あんなに子供みたいなまねしてたら、それはそうなるわよ。
ほら制服もびしょ濡れだし」
「水も滴るいい男って?」
少年は無邪気に答える。
「それ意味分かって言ってる?」
少女は額を小突く。彼ら二人、気心知れた者同士。
 
 その少年、名を仲村 藤隆という。
 そして帰り道に彼の子供じみた真似につき合わされているのが宮路 早樹。
 二人とも中学二年生だ。
 
「まったくしょうがないわねぇ」
軒先にて、早樹はタオルを取り出すと藤隆の顔を、首を、耳を拭いていく。藤隆は突っ立
ったままそれを受ける。なんだか母親と、母親に世話を焼かせる子供のようにも見え無く
もない。
 
「くすぐったいよ」
いたずら小僧は照れてはにかむ。
「拭いてもらっておいてなにいってるんだか。そもそも小学校の頃から雨の日はびしょ濡
れになってんじゃない。なんで私が雨の日はタオルを用意しなきゃならないのよ? 自分
で用意しなさい」
そういうと早樹は藤隆の髪をくしゃくしゃっとタオルで拭いていく。
 
「藤隆クンと結婚する人って大変ね」
「早樹ちゃんこそどうなのさ。早樹ちゃんってもう小さい頃から婚約者いるって話じゃな
いか。もう少しお嬢様っぽくしてた方がいんじゃないの?」
早樹は少し戸惑い、軽く抗議。藤隆はそれを笑っていなすと、
「母さんが言ってた。宮路さんとこは家が大きいから、娘さんは、同じく家が大きいとこ
ろの坊ちゃんと結婚の約束してるんだよって」
 
「昔からその人の事は知ってるの。その人のお母さんは元華族の出でとっても美人な方な
の。その人も母親似でとっても格好いいのよ。そしてお勉強もできるらしいし、お行儀も
いいし。とってもいい人よ」
それに藤隆なんだか納得がいかない様子。
「ふーん、でも初めっから結婚の相手が決まってるってのもどうなんだろ」
 
早樹の顔に一瞬、影が走る。
「……あんたはそんな心配しなくていいよ」
けれど藤隆は納得がいかない。でもなんで、と数度繰り返す。
 
「でもじゃなくて、それでいいの」
早樹、声が低くなる。
「そんなこと言ったっておかしかないか、だって早樹ちゃんは早樹ちゃん、親は親だよ。
なんで決められたままなのさ?」
藤隆食い下がる。少年らしい純な思い。早樹はそれを数度やり過ごす。徐々に口調が尖る。
 
「でも早樹ちゃんはやじゃないの!? 初めから生き方が決められてるなん……」
「だからいいっていってるでしょ!」
 思わず早樹は藤隆の顔面にタオルを投げつけた。そのままタオルは水溜まりに落ちる。
 
「いちいちうるさいのよ、ガキ! あんまりごちゃごちゃ言わないで。耳にガンガン来る、
耳障りだわ。だいたい小学校からの腐れ縁なだけのあんたに、あんたに、私のなにが分か
るのよ!」
藤隆、言葉、失う。
 
「私はね、小さい頃からピアノ、お花、英語、バレエ、いろいろ習い事してきた。早樹は
立派なお相手がいるから、あなたはそれに見合うだけの子にならなきゃいけないのよって。
 立派な相手もいるし、立派な人生も用意してあるのよって。あなたは私達みたいな成り
上がりじゃなくてそれこそ生まれてからの上流なのよって。
 
 小さい頃から私は父さん、母さんの期待になんとか答えようと頑張ってきた。私は自分
で言うのもなんだけど人並み以上そこそこはできる。それは本当よ。でもそこまで。
 私には自分自身でなにかを見つけ、導きだし、切り開いていくことはできない。それ以
上の才能は私にはないのよ。……まるで私の人生みたい」
早樹はいつのまにか軒先より出ていた。雨が打ち続け、制服を濡らしていくも目に入らず
に。まるで何かに取り憑かれたように、言葉は奔流となる。見つめる藤隆、彫像と化す。
 六月の、雨が降り続く。
 
「でも父さんや母さんにはすごく期待されてるから、私には父さん母さんを悲しませられ
ない、裏切れない。才能無いのは私自身分かっているのに。誰よりも。いえ、誰にも分か
らない。そう、私だけしか分からない。私にしか。
 だから私は努力するしかないの。人並みに、人並み以上に。いえ、誰よりも。
 手が動かなくなるほどに勉強した夜もあったわ。そしてそんなみっともない姿なんて父
さん達には絶対見せられない。絶対言うわけにはいかない。絶対に。
 だから試験の前なんてみんなが寝静まってからこっそり問題集を開いてた。明かりが漏
れぬよう布団をすっぽりかぶって懐中電灯付けながらよ。
 そこまでして点をとっても、早樹はそこそこの勉強なのにすごいねぇって。クラスの友
達たちも、早樹ちゃんは他のもお稽古ごとあるのに、どうやったらそんなにできるの?
って。みんな何もしらずにね」
 
「なにが、なにが、秀才、才女よ! 誰にも言えない。誰も分からない。ああ、私の耳に
こだまし響くのはいつもいつもいつも……
 
 早樹そこはもっと、早樹お前は人よりも卓れているはずだ、早樹それは違うでしょ、早
樹何度言えば分かるの、早樹失望させないでおくれ、
 早樹、早樹、早樹、早樹、早樹、サキ、サキ、サキ、サキ、サキ!」
最後は言葉にならず嗚咽の如く。早樹の頬を濡らし、流れるものは雨の雫だけなのだろう
か。
 
 いつのまにか雨は小降りとなっていた。もう時間は夕暮れ。辺りは暗くなっている。
 
「私、何言ってるんだろ……」
早樹は気が抜けたように突っ立ている。
 
 
 藤隆は早樹が投げつけ泥に落ちたタオルを拾い上げる。
「タオルは初めから用意するつもりはなかったんだ」
「え?」
早樹はきょとんとする。
 
 藤隆は服が汚れるも構わずに泥だらけのタオルをかき抱いた。
「だって、早樹ちゃんが僕の為にわざわざ用意してくれるんだ。お金持ちで、勉強ができ
て、優しくて、みんなから好かれて、無理してるようになんて全然見えないのに、ホント
はいつもいつもいつも誰よりも努力してる早樹ちゃんが、そんな早樹ちゃんが僕の為にわ
ざわざ持ってきてくれるんだ。
 早樹ちゃんの苦しみも悲しみも何にも分からず分かろうともせず、のうのうとしてたこ
んな僕の為に。誰よりも辛かったろうに誰よりも優しかった早樹ちゃんが。
 だから、だから、だから……」
 
藤隆はしゃくりあげ泣いた。
 
 早樹は虚を突かれたような顔をし、赤くする。が、すぐさま呆れたように肩をすくめる。
「はー、そういう言葉をよく言えるわよね。藤隆クンでなきゃ、相当に微妙。子供っぽい
から無邪気で済まされてんのよ」
 
「……ごめん」
藤隆はうなだれる。
 
 早樹はふっと笑みをこぼすと、藤隆のまぶたを、頬を、涙をそっと指でぬぐう。
 そしてうって変わって優しい声でつぶやいた。
 
「……アンポンタン、ありがと」
 
 
 
3・ジューンブライド
 
 
 薄暗い教会の中、辺りは静かで、ただ雨が屋根を打つ音が響いている。小さな教会には
神父と一組の若い男女がいた。
 
 神父は厳かに二人に問いかけていく。二人は互いに強く手を取り合い、はにかみながら
そして力強く答えていく。
 
 思えば突然の申し出だった。ふらりと男女が現れ、結婚式を挙げたいのだと言う。しか
も親戚、友人だれもいないと。神父はとまどったが、けれど快く承諾した。
 
 聡明そうでいて、ひたむきな瞳の純な青年。ときどき緊張で受け答えにつまりつつも迷
いのない言葉。優しい表情の、知的で上品な乙女。青年の手を強く握りしめて離さない。
 
 そして二つの影は一つになる。六月の花嫁をジューンブライドという。乙女はその花嫁
となった。新郎、仲村 藤隆。新婦、宮路 早樹。二人が二十四歳の時のことである。
 
 
 
4・雨の小道
 
 
「ママ、ママ!」
緑はその小さな手でうずくまった早樹を揺り動かす。雨に打たれるままだった早樹は、頭
をもたげる。
 
 ……私は、人一倍愛されたと思う。色々な幸せをもらったと思う。だけどあの人はもう
いない。
 今が不幸せだとは思わない。可愛い愛娘、それなりの生活基盤、将来の夢。いまだ、私
は走り続ける。だけどそれらを共に楽しみ喜び支えあうべきあの人はいない。
 
「時には弱音をはいてもいいよね、藤隆さん?」
そっと、音にならない声にてつぶやく。
 
「ママ、ぐあいがわるいの?」
緑が不安げにのぞき込む。父親にそっくりなその瞳で。
 
 ……不器用で、世渡りが下手で、騙されも利用されもした、だけど誰にでも優しくて子
供が大好きで。そして、私をいつも支え勇気づけたあの真っ直ぐな瞳。
 
「そうだね、そうだよね。藤隆さん」
 
 早樹は起きあがる。そして思わず口ずさむ。
「雨雨、降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎えうれしいなー♪」
「ワァ、ママじょうずー」
 二人は歌いながら歩き出した。雨の中、水溜まりを選んで踏みながら。
 
 雨は降り続ける。未だ梅雨は明けない。
 
 
 
                      君想う十二の月の小話〜六月〜 完
 
 
 
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